【書評】なぜ、あなたがリーダーなのか 本物は「自分らしさ」を武器にする(ロブ・ゴーフィ、ガレス・ジョーンズ共著)


組織行動学の専門家であり、ロンドンビジネススクール名誉教授のロブ・ゴーフィーと、同じく組織行動学の専門家であり、IEビジネススクール客員教授、ロンドンビジネススクール経営開発センターフェロー、INSEAD客員教授のがレス・ジョーンズの共著。二人は共に組織コンサルティング会社、クリエイティブ・マネジメント・アソシエーツの共同設立者でもある。

正直なところ、そんなに期待して購入した本ではないのだが、意外と面白く読めた。内容に関しても特に真新しいものは無く、基本的には「リーダーは自分の資質を最大限にいかしつつリーダーたれ」というような内容である。「これがリーダー」というステレオタイプのリーダー像というものは虚像であり、本当のリーダーはそれぞれが違う。ただし、本当のリーダーと考えられる人は皆「自分らしさ」を理解した上で武器としている。それは強みだけではなく、弱みも含んだ上での自分らしさである、というようなことが続く。ただし、実例が非常に多く、そのそれぞれの実例が本著の主張を補完するかのように独特でオリジナリティがあるため読んでいて飽きない。また、「リーダー」についてだけではなく、チームビルディングについても多くの紙面が割かれている。

私にはそこまでグッと来なかったが、英語の副題でもある「理想のリーダー像と現実のギャップに苦し」んでいる人に対してこそおすすめするべき本なのかもしれない。

リーダーシップに関わる3つの原理原則

【1】リーダーシップは状況に左右される。
リーダーに求められるものはリーダーが置かれた環境に常に影響される。歴史を顧みても、一時は絶大なリーダーシップを発揮していた人物が、状況変化の中で力を失った例は枚挙に暇がない。

【2】リーダーシップは肩書を問わない。
組織内の地位とリーダーシップにつながり(たとえば予算権限など)があるのは確かだ。しかしそれは、いわば決めごとの域を出るものではない。チームリーダー・部門長・統括責任者などの肩書は、たしかにヒエラルキー上の権限を伴う。しかしそのことと、その人物が良いリーダーであることは直結しない。いわゆる肩書というものは、リーダーシップを考える上で、必要条件でも十分条件でもない。

【3】リーダーシップは関係性に根ざす。
リーダーシップは他の人々とのつながりに立脚する。単純に考えて、他にだれもいないのならばリーダーにはなりようがない。しかし、この原則は、以前のリーダーシップ研究では無視されていた。「個人的な特性」を追うあまり、リーダーシップが周囲の人々との間に形作られる関係性に根ざすことを見逃していたのだ。

リーダーにとって必要な状況を感知する力

【1】観察すること、認識すること。
リーダーは周りで何が起こっているのかを感じ続ける。そしてそれが何を意味するのかを解釈し続ける。口頭で説明されることのない、微妙な空気の変化すらも拾い上げる。チームの士気の揺らぎ、現状に満足する意識の芽生え。そんな兆候を見逃さない。
タスク志向が過度に強いエグゼクティブは、得てしてこの基本的な観察作業をなおざりにする。状況を完全に把握する前に行動を急いでしまうのだ。そして往々にして最悪の結果を招く。

【2】行動すること、適応すること。
状況を観察して認識する。そしてそれに応じながら足を踏み出していく。しかし、自分らしさは失わない。リーダーはおかれた状況下で最大のインパクトを得るべく、自分の振る舞いをコントロールしなければならない。自らの対人能力をフル活用して、自分らしさは失わず、様々な行動を使い分けねばならないのだ。周りの皆に歩み寄ったり、逆に突き放したり。凛とした強さを示したり、人間くさい弱さをさらしたり。素早く行動したり、タイミングを丁寧に制御したり。そんな幅を持って自らの行動を制御するのだ。

【3】状況を変えていくこと。
観察し、認識し、適応し、行動することによって、最後は状況を変えていくことこそがリーダーに必要な力。

卓越したリーダーたちは、居心地良い場所から飛び出すことをいとわない。しかし彼らは同時に、極めて「地に足がついている」ようにも見える。自分は何物なのか、どんな経緯でここに至ったのか。その見極めがついていると思えるのだ。自分が自分らしくいられる「原点」を理解しているのだ。

高い業績をあげるチームは、二つの特徴的な行動パターンをバランスさせつつ進化していく。タスク志向とメンテナンス志向。そう称されるもののバランスだ。やるべきことをやる、これがタスク志向だ。活動を立ち上げる、目標をセットする、役割を割り振る、進捗を管理する。このようんじゃことだ。チームに強いプレッシャーがかかるときは特に、この志向性が芽生えて支配的になる。しかし緊張がほぐれだすと、タスク志向の強すぎるチームは往々にしてバラバラになる。一方、メンバーを一つにまとめようとする、これがメンテナンス志向だ。何かを皆で共有したり、諍いをいさめたり。しかし、これも度を過ぎると酷いことになる。メンバーの皆が仲良くはなったが、何一つ成し遂げられない。そんなチームになりかねないのだ。

チームの発達は段階的なサイクルを経ること。そのサイクルは意図的に制御可能なこと。制御することでチームとしてより良い成果をあげうること。良いリーダーはこれらを認識している。このサイクルはしばしば、四つの段階で表現される。

【1】チームが組成される形成期(Forming)
【2】何をどうなすべきかでメンバーの意見がぶつかり合う混乱期(Storming)
【3】実際どう物事を動かしていくかの共通認識が形づくられる統一期(Norming)
【4】やると決めたことに皆が集中して取り組む機能期(Performing)

この四段階をどう経ていくかに一律のパターンは無い。メンバー間にいかんともしがたい考えのズレがあり、混乱期で瓦解してしまうチームもあるだろう。あまりに皆が気を使いすぎて対立を避け、混乱期が訪れることのないチームもあるだろう。そして昨今、特に顕在化しているパターンがある。すぐ何らかの成果を出そうと、第一段階の形成期から第四段階の機能期にいきなり飛ぼうとするのだ。非現実的な試みと言える。これまでの行動科学の研究成果を無視する暴挙でもある。

「二人の政治家がいた。一人はアンテナを持っておらず、もう一人はアンテナしか持っていない。場の状況や声なき声を拾いあげるものがアンテナだとすれば、どちらの人物も失敗するだろう。政治の場でも、ビジネスの場でもだ。アンテナしか持っていない方は場の雰囲気をよく読み取って動くだろうが、自分らしさは打ち出すまい。アンテナを持っていない方は自分らしさをきっぱりと打ち出すだろうが、それが受け入れられたかどうかを見極められまい。」
アンソニー ストー「The Art of Psychotherapy(心理面接の教科書)」

社交性(Sociability)と連帯性(Solidarity)

どういう人物が組織状況を読むに長けているのか。また、どのようにそのスキルを磨いてきたのか。さまざまな環境に長いことさらされる中、本能的に身につけてきたリーダーももちろんいるだろう。あらためて何らかのコンセプトに頼ることなしにも、適切な洞察や介入を行う。そんな知恵を体得した人たちだ。しかし、より普遍的な原則はないものか。われわれの経験則で語れば、ある。組織文化にはゆるやかな類型が存在する。それを理解しておけば、状況を読む能力を磨く上で有効に働くだろう。
組織を一つの共同体(コミュニティ)と見る考え方に基づき、われわれが編み出しあ・組織状況理解のコツを紹介しよう。社会学の思想にも立脚する。二つの文化的な関係性、社交性(Sociability)と連帯性(Solidarity)に着目するものだ。
社交性とは、お互いを友人として認め合う、人と人との乗除的なつながりを指す。共通の志向性や価値観を分かち合い、相手と対等の立場で結びつくものだ。関係が存在すること自体に本質的な価値がある。また、相互に(往々にして無条件で)助け合う意識を特徴とする。
連帯性はこれとは対象的なものだ。個人とグループとを、果たすべきタスクや役割でつなぐ関係性を指す。友愛の情も、相互の面識すらも必要とされない。継続的なものでなくとも構わない。利害が共通している、その認識だけに立脚する関係性である。そして連帯性は、いったん利害が共通しているというコンセンサスが固まれば、その達成への集中力が生まれる特徴を有する。

組織文化の四つの基本的な型

ネットワーク型
社交性が高く連帯性が低い文化だ。親しみやすい家族敵な雰囲気を特徴とする。仕事に関連した行事が頻繁に行われ、それが人々の親睦を深める一助となっている。家族を含めた催しや、親睦会やスポーツ大会など、職場の外にまで活動が広がることも多い。マイナス面も顕在化しやすい型だ。そう、派閥形成も含めてである。非公式の活発な情報交換は、高じれば噂やゴシップの温床となる。友達感覚が度を過ぎれば、雑談ばかりで実のある活動が行われなくなる。最も厄介なのは、(特に上層部が)組織内の政治活動や他人からの点数稼ぎに、多大なエネルギーを注いでしまうことだ。事業のアウトプットより、上司へのインプットが大切。そうなりかねないのだ。

傭兵型
ネットワーク型の対局にある文化だ。社交性は低く連帯性が高い。競争意識が極めて高く、勝利を渇望する特徴がある。そしてこの勝利は「ゼロサム」で定義されることが多い。「わたしの勝ち、お前の負け」そんな捉え方だ。闘争的な個人主義の中、自分にとってのメリットを明確に認識しているそれぞれが、共通目標のもとに集っている組織だ。互助的な行動などは、目に見えて明らかな利点がない限り起こらない。「編隊を組んで飛ぶ鷲」とでも表現できよう。これは優れた企業にも見ることができる文化である。しかしやはり、考慮すべきマイナス面も持つ。明瞭な目標を掲げて突っ走る組織であるがゆえに、潜在的な課題は「いかにそれが重要であっても」看過されがちなのだ。内部闘争が常態化する恐れもある。知識集約的な事業を営む組織にとっては致命的といえよう。閃きのもととなる創造的な一体感が育まれないからだ。心情的なつながりの希薄さゆえに、大事にすべき社員の流出も起こりやすくなる。

断片型
社交性・連帯性ともに低い。よく見られる型ではないが、場合によっては有効に働く。たとえば、外部委託や在宅勤務、個々人の専門性などに大きく依存する事業では、この文化が適している場合も多い。自由裁量余地の大きさがメリットとなるのだ。大学教授、あるいは法律事務所の共同経営者が、自立性高く活動しながら創造的な成果を生むような例だ。しかしその自由度が濫用されると、利己的な秘密主義が跋扈しかねない。個々人が自分のことしか考えない挙句、単なるミーティングさえ開けないハメに陥るケースすらある。

共同体型
社交性も連帯性も高い。一見すると双方の長所を兼ね備えている。創造性に富み、好業績を誇る企業の成功要因が語られるとき、この類型に属する風土が指摘されることも多い。たとえばアップルやマイクロソフト、ベン・アンド・ジェリーズ・アイスクリームなどの企業だ。組織としての大きな目標を掲げ、その達成に向けて皆が固く団結したチームとして熱心に活動している。本領が発揮されると、高邁な目標と日々の活動がピッタリと整合して事業が展開されていく。この文化の負の側面は何か。それは、成功したまさにその理由で失敗する「成功のパラドックス」の懸念だ。「我々に死角なし」そう皆が思い始めてしまうのだ。競合や顧客のうごめきを「間違っている」と歯牙にもかけない。あるいは自分たちの価値観や主義を金科玉条とし、シンになすべきことを見失ったりもする。

親近感の醸成は一筋縄ではいかない

親近感は段階的に育まれるものだ。ただし、何か決まった流れに沿って事務的に醸成されるものではない。自分のスタイルと自らの置かれた状況、リーダーはそれを踏まえて、物事を進めていかねばならない。そして、その進め方はまた、周りの皆に見合ったものでなければならない。
製薬会社の研究者たちを対象にチームビルディングを行ったときのことだ。通常のやり方、たとえば趣味や関心事を皆で共有しあうなどを一通り試してみたものの、どれもどうもうまくいかない。行き詰ったわれわれは最後の手段として、各自が研究テーマをお互いに紹介しあうセミナーをお膳立てした。はたして、皆の盛り上がりは凄まじいものだった。まさにそれこそが皆の知りたがっていたことだったのだ。結局のところ皆、科学者だったということだ。

企業は本当のところは何のためにあるのか?

資本主義社会における企業にとって、その答えは伝統的に「株主価値の増大」であった。ミルトン・フリードマンをはじめとした人々は、株主価値増大への立脚こそが、企業活動に倫理性を埋め込みうるものであるとする。たしかに極限すれば、社員(役員も含めて)は、自分たちのものではない組織に、ここの価値観や希望をすりこもうとする存在とはいえなくはない。しかし、いずれにせよわれわれは、株主価値増大のみを目標に据えることは、リーダーシップの基盤として脆すぎると考える。実際、長年繁栄を続ける企業は、他の何らかの目標の追求にエネルギーを割き、そしてその副産物として株主価値の向上をもたらすのだ。
はたして一度として「すまないが、今日は帰りが遅くなる。株主価値向上で忙しくてね」という会話が存在したことがあろうか。むしろ耳慣れたのは「同僚を手伝っているんだ」「顧客が困っているんだ」「素晴らしい音楽ができそうなんだ」「研究が佳境なんだ」あるいは「儲かりそうないい話があるんだ」の類いだ。株主価値向上の呪文が、人々をひときわ優れたパフォーマンスに駆り立てたことはない。