【書評】BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の “走る民族”(クリストファー・マクドゥーガル著)(近藤 隆文訳)

BORN TO RUN

【評価】

【こんな人におすすめ】
・ナイキが好きな人
・ナイキが嫌いな人
・走りたい人

【書評】
「ランニング」というスポーツは非常に故障の多いスポーツであり、ランナーの65%から90%が毎年なんらかの足腰への問題に直面することになる。多くの医者は、人間の足というものはそもそも不完全な作品であり、走るようにはできていないと結論付ける。しかし、メキシコの山岳地帯に住む「タラウマラ族」は毎日何十キロも走る上に、年老いてなお、走り続けて故障とは無縁である。しかも、足元は廃タイヤから切り取った薄っぺらいゴムを革紐でしばりつけただけのものを着用している。

ナイキがコルテッツからはじまり、ワッフルソールを開発することで踵への衝撃吸収に成功したかのように見えた。踵への衝撃が軽減されれば踵から地面に降りることでストライドを大きく取ることができるようになり、人間の走り方は変わっていったかのように見えた。しかし実際はそれこそがランニングによる故障の大元であり、戦犯ナイキと言わんばかりの内容が面白い。「シュードッグ」とは違う視点からナイキ物語を垣間見ることもできる。

ビブラムファイブフィンガーズがスポンサーについた一人目のウルトラランナー「ベアフット・テッド」も出てくるし、彼がタラウマラ族の伝統的な手作りシューズを元に、マヌエル・ルナと一緒に開発した「ルナ・サンダル」の誕生秘話も出てくる。ランニングに適した食事の話も盛りだくさんに出てくる。

また、なぜ人は走るのか、なぜ走ることで快楽を覚えるのかを極限まで追求した本。人間が快楽を覚える行為は、過去にそれが人間が生き延びていくために必要な行為で「あった」ものが多い。しかし、人間の「走る」という行為は見方によれば中途半端で役に立たない上に、過去のどのような行為と関連しているのかがわからない。

少し文章が読みにくく、何が主語で誰の話をしているのかわからないような部分が前半にあるが、内容の面白さでカバーできている。

私は生まれてから今まで人が走ることを見て感動を覚えたことがなく、駅伝もマラソンも観戦には全く興味がないのだが、本書に出てくるウルトラランの描写ではじめて、人の走りで感動を覚えた。

【抜粋】
なぜロシアの短距離走者は高さ6メートルの梯子から裸足で飛び降りられるようになるまでトレーニングで走ることを禁じられているのか?マチュピチュの60歳のヤギ飼いはヨーグルトと薬草だけという粗食でどうしてアンデスを登れるのか。

1マイル走で世界トップ50にランクされた女性はいない。マラソンならひとりくらいは上位20位に食い込むことがあるかもしれない。だが、ウルトラでは女子が商品を持ち帰っているのだ。なぜレースが長くなると、男女のチャンピオンの差が縮まるのか?逆になるはずじゃないのか?ウルトラランニングは地球という惑星のルールがいっさい当てはまらない別の宇宙のようだ。女子が男子よりも強く、老人が若者よりも強く、サンダルを履いた石器時代の男たちが誰よりも強い。週に100マイル走ったら脚に負担がかかって故障へまっしぐらとされているのに、ウルトラ狂たちは1日に100マイルだ。なかには毎週トレーニングでその倍を走りながら、故障ひとつしない者もいる。

アン・トレイソンを理解できれば、ひとりの驚異的な人物に何ができるかを把握できる。だが、タラウマラ族を理解できれば、あらゆる人に何ができるかを知ることになるのだ。

テッドは現在のアメリカで初となるプロのベアフットランナーだった。ファイブフィンガーズはヨットレーサー用のデッキシューズとして開発されたもので、そのねらいは、すべりやすい甲板でのグリップを強めつつ、素足の感覚を保つことにある。

「70年代後半に最初の本格的研究がおこなわれて依頼、アキレス腱の障害は実際には約10%増加しており、足底の筋膜炎は横ばいです」ランニング障害の専門家でアメリカ足病スポーツ医学会元会長のスティーヴン・プリブット博士はそう語る。

「過去30年のテクノロジーの進歩は驚異的です。モーション制御とクッション機能の技術革新はすさまじい。ところが、そうした矯正法も障害には勝てないようなのです」と補足するのはアイリーン・デイヴィス博士、デラウェア大学ランニング障害診療所の所長だ。

ランニングシューズがけがの予防に役立つという証拠はない。「英国スポーツ医学ジャーナル」に収録された2008年の論文で、ランニングシューズによってけがをしにくくなることを確かな根拠で示した研究はひとつもない。

自社の長距離走者用シューズを履けば、筋骨格系ランニング障害のリスクが減ると言い切れるランニングシューズメーカーがあるだろうか?自社のランニングシューズを履けば、長距離走の成績が向上すると言い切れるシューズメーカーはあるだろうか?もし言い切れるなら、その根拠となる専門家に検証されたデータはどこになるのか?リチャーズ博士はデータを求めて大手シューズメーカーに連絡をとろうとしたが、返ってきたのは沈黙だった。

「最高のシューズは最悪である」
最高級シューズを履くランナーは安価なシューズのランナーに比べてけがをする確立が123%も大きい。これはスイスのベルン大学に所属する予防医学の専門家、ベルナルト・マルティ医学博士を中心とした研究の結果だ。マルティ博士が驚いたのは、故障経験者に共通する最大の変数がトレーニング上の表面や走るスピード、一週間に走る距離、実戦トレーニングによるモチベーションのいずれでもないことだった。それは体重でもなければ、それまでの故障歴でもない。シューズの価格である。95ドル以上のシューズを履いたランナーは、けがをする確立が40ドル未満のシューズのランナーの2倍だったのだ。

「足はこき使われるのが好き」
ベイツ博士はシューズがすり減ってクッション材が薄くなると、ランナーは足をコントロールしやすくなると報告した。どうして「足のコントロール」+「ペラペラになった靴底」=「怪我をしない脚」になるのだろうか?ある魔法の成分、つまり恐怖のためだ。アディダス・メガバウンスといった商品名から連想されるふかふかしたイメージとは裏腹に、クッション材は衝撃を緩和する役には立たない。論理的に考えれば当然だ。ランニングによる脚への衝撃は体重の12倍にもなるので、半インチのゴムが、たとえば私の場合落下する1250キロの肉塊に多少なりとも抵抗できると信じるのはばかげている。

ランニング障害の蔓延を巨悪のナイキのせいにするのは安易過ぎるように思える。が、気にしなくていい。大部分は彼らの責任だからだ。この会社を設立したのは、なんでも売ろうとするオレゴン大学のランナー、フィル・ナイトと、何でも知っていると自負するオレゴン大学のコーチ、ビル・バウワーマンだった。このふたりが手を組むまで、現代的なランニングシューズは存在しなかった。現代的なランニング障害の大半もしかりだ。

多くの教え子をも持つ身でありながら、バウワーマン本人はランニングの経験が豊富だったわけではない。走り始めたのは55歳。ニュージーランドに行って、フィットネスランニングの父にして絶大な影響力を誇った長距離走コーチ、アーサー・リディアードのもとですごしてからのことだ。リディアードは心臓発作に苦しむ人々のリハビリを目的としたオークランド・ジョガーズ・クラブを50年代後半に創設していた。当時は激しい議論を呼び、医師たちはリディアードが集団自殺をお膳立てしていると言って譲らなかった。だが、かつての病人たちは、2、3週間ほどランニングをつづけると具合がよくなることに気づき、妻子や親を招いて山岳路での二時間のジョギングに同行させることになる。

バウワーマンが上手かったのは、自身の新型シューズでのみ可能な新たな走法を提唱したことだ。コルテッツによって、人はそれまでは安全におこなえなかった走り方ができるようになった。それは骨ばった踵で着地することだ。クッションつきのシューズが発明される以前、ランニングフォームはどの時代も同じだった。背筋を伸ばし、膝を曲げ、腰の真下で足が地面を後ろにかくようにして走っていた。ほかに選択肢はなかった。衝撃を吸収するものは、脚を縮める動きと、中足部の厚い志望しかなかったからだ。

ハイスクールでノルディックスキーとクロスカントリーの選手になると、ことあるごとにコーチたちから、激しい運動後の筋肉強化には志望のない肉をたっぷりと食べる必要があると言われた。ところが、これまでのエンデュランスアスリートについて調べれば調べるほど、つぎつぎに菜食主義者たちが見つかったのだ。

世界でもっとも偉大なマラソン選手たちは、まるで幼稚園児のように走るのだ。「運動場を駆けまわる子どもたちを見るといい、彼らの脚は身体の真下に着地し、そして押し返す」「ケニア人も同じことをしている。子供の頃に裸足で走った時と、成長してからの走り方が驚くほど似ているんだ。そして、アメリカ人の走り方とは驚くほど違う」

2004年のNYCマラソンの結果を調べて、年齢別にタイムを比較してみました。それでわかったんですが、19歳を振り出しとして、ランナーたちは毎年速くなり、27歳でピークに達する。27歳を過ぎるとタイムは落ち始めるのです。さて、ここで問題。19歳のときと同じスピードに戻るのは何歳のときか?答えは64歳です。たまげるでしょう?64歳が19歳と互角に渡り合う競技を他に挙げてみてください。水泳?ボクシング?接戦にもならない。われわれ人間にはじつに不思議なところがあります。持久走が得意なばかりか、きわめて長期間にわたって得意でいられる。われわれは走るためにつくられた機械、そしてその機械は疲れを知らないのです。しかもそれは、男女ともにあてはまることです。

「女性は過小評価されています。進化上、不当な扱いを受けてきました。男が食料を持ち帰るのをじっと待っていたというのが定説になっているが、女性が狩猟隊に参加できなかった理由はありません。」

「年をとって働けなくなったら、ジェロニモが解放されたらやったはずのことをやる。峡谷の奥へと立ち去り、静かな場所を見つけてよこになるのさ。」